旅日記,随想,俳句など…

エジプト紀行4

(5)12月26日(水)午後

 マリオテーヤ運河というのがナイル川の西岸をナイル川に平行に南北に走っている.その運河の両側に一方通行の道路が並走している.これをサッカーラ街道という.そのサッカーラ街道を南にひた走り(写真14),階段ピラミッドで有名なサッカーラのピラミッドコンプレックスに向かう.この街道では荷車を引いているロバを何度か見かけた.ロバを見ると懐かしさが込上げて来るのはなぜだろう.子供の頃にロバを見たわけでもない.いや一度動物園で見たことがあるような気がする.動物園の片隅に詰らなさそうに立っていて,何となく貧相に見えた.しかし,外国で見るロバは小さな体で一生懸命に荷馬車を引く.「がんばれ!」と思わず応援したくなる.そんな気持ちが懐かしさの根源であるように思う.
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写真14.運河沿いのサッカーラ街道を南に
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写真15.空になった荷車とロバと少女

 サッカーラ街道沿いにはCarpet Schoolという建物が点在している.案内所によるとこれはカーペットの作り方を教える学校ではなく,観光客を相手にカーペット織りの実演を見せて,販売するための店であるとのこと.運転手がこれらの店に立ち寄らないのは,我々が高価なものを買わない人種であるということをすでに見抜いたからであるのか,それとも,これらの店とは付き合いがないのか.これらのCarpet Schoolをすっ飛ばして,タクシーはサッカーラの遺跡に向かう.

 サッカーラで有名なピラミッドは,高さ60 m,基底部130 m×110 mの規模でギザのものより小ぶりであるが ,6段の階段状のもので独特の形状をしている(写真15).ジョセル王のもので,ギザのピラミッドよりも100年も以前のものであるらしい.このピラミッドを中心に500 m×300 mほどのピラミッドコンプレックス(建築物や周壁など)が残っている.
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写真16.サッカーラの階段ピラミッド

 サッカーラの遺跡は広い.ピラミッド入口からチケット売り場まで2 km,さらにピラミッドコンプレックスまで1.5 kmとのことである.この広い遺跡を徒歩で観光するのは大変だ.タクシーを利用した先見の明を褒めてやりたい(もっとも,「サッカーラはタクシーを利用した方がよい」との旅行書の助言に従っただけであるが).ピラミッド入口に入ってから運転手が,"Money?", "No money?"と盛んに尋ねてくる.ギザを出発するあたりから"No money, picture, and go","or money?"というようなことを言っていた.入場料を払わないで「外から」写真を撮って帰って来たらどうか,それとも入場料を払う?というようなことをきいているのだと思った.間近に階段ピラミッドを見られないのであれば仕方がないではないか,だから,"Money"と道々答えてきた.しかし,最後に二股のところに来た.右に行けばチケット売り場,左に行けばピラミッドコンプレックスのようだ.何のことはない.チケット売り場はまったく別のところにあるのだ.これがエジプト風である.入場料を払わなくとも階段ピラミッドの間近に行けそうである.入場料は50 £E/人である.そんなに安くはない,いや結構高いのである.瞬時に"No money"と答えてしまった.タクシーは左の道を数分進んでジョセル王のピラミッドコンプレックスの駐車場についた.後で知ったことであるが入場料を払うとチケット売り場に併設されているイムホテプ博物館という充実した博物館に入場出来るとのことであった.イムホテプとは人名で,古代エジプトの天才建築家であるらしい.入場料を払うかどうかで違いが出るのはこの博物館に入場出来るだけであり,ピラミッドコンプレックスを見学したりする点では違いはないようである.階段ピラミッドが間近である.観光客の数はギザほどではないが,それでも結構いる.
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写真17.ピラミッドコンプレックスの入口の柱廊

 ここのピラミッドコンプレックスは,メインの階段ピラミッド(写真16)のみでなく周壁や建造物が残存しており,その代表が入口の建造物と柱廊(写真17)である.その柱廊を出ると北に階段ピラミッドの正面が見える.南を望むと遥か向こうにまたピラミッドが見える(写真18).サッカーラの遺跡には,ギザの3大ピラミッドにはない,もう少し純なものを感じた.第一に観光客相手の商売人をほとんど見かけなかった.それだけでなく,遺跡そのものが元の状態に近いように感じられた.また,観光客の数が少ないのもよい.
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写真18.ピラミッドコンプレックスから南を望む

 サッカーラのピラミッドコンプレックスの観光を終えて,サッカーラ街道を北上することになる.カイロに近づくにつれて交通量が増えてくる.バイクの後ろに座っている少年が毛皮を取り除いた動物の死体を自分の膝の上に置き,手でしっかりと抱えている.皮下脂肪をまとった肉がバイクの動くたびにぷよぷよと盛んに揺れる.かなり大きい.頭も落としているようだ.小さめの豚か大きめの羊と思われるが,ここはイスラム圏なので,多分,羊であろう.もちろんイスラム圏では豚肉の食はタブーである.これに関しては,モーゼの古代エジプト脱出あたりからの歴史があるようだ.タクシーの運転手が,あのような乗り方は違法で警察に連絡すると捕まる,というようなことをボディーラングエッジで教えてくれた.これもエジプト風なのか.

 信号機のない四ツ角に来た.北向きのサッカーラ街道はほぼ3車線,交わっている道路も片側2車線から3車線の交通量の多い道路である.交通整理の警官もいないようである.交差する道路に遠慮していたら何時までたってもこの四ツ角を渡れない.タクシーの運転手は心得たもので雑踏の中へ突き進む.交差する道路を走っている車が急に前をよぎる.その反対車線の車が,左折しながら前に割り込んでくる.それに車だけでなく,当然のことであるが,人もこの四ツ角を勝手に渡っている.目眩がした.それでもタクシーはこの四ツ角を何事もなく通り過ぎた.多チャンネルの化学反応というのは,恐らく,このように押し合いへし合い「信号もなし」で進むのであろうと想像した.そんな四ツ角を数カ所こえて高架道路に入った.

 1時過ぎ,ホテルの近くのスーク(市場)のあたりでタクシーを止められた.4時頃までという約束であったが,こちらもギザ,サッカーラという目的を果たしているので何の文句もない.30 £Eのバクシーシを弾んで230 £Eを渡すと,運転手は喜色満面であった.朝にはギザで食べようと思っていた昼食をここで取ることにして,こじゃれた店に入った.3種類のサンドウィッチを注文して,あとは水のボトルを注文した.サンドウィッチはそれぞれ量が多い.十分満足して勘定書を要求すると合計で90 £E弱である.ここではN君がお金を出す番なので,N君に欧米スタイルのチップの出し方を教えた.勘定シートに100 £Eを挿んでテーブルの上に札が見えるように置いて出て来た.こじゃれた店なので欧米スタイルでよいと判断した.

 ホテルは道路のすぐ向こう側である.中央分離帯がある.片側の道路は,昨日,苦労して渡った2車線の道が2つ合流して4車線になった道である.したがって,走っている車は例によって5車線となっている.この5車線も比較的空いていることもあって,中央分離帯までは簡単に渡ることが出来た.我々もエジプト風が板に付いたものだと.3人で悦に入っていた.しかし,次の片側5車線がいけなかった.車のスピードも車間距離も先ほどの5車線とは格段に違う,ように思った.3人とも渡らなければと思うのであるが,足がすくんで動けない.後からのエジプト人が次々に向こう側へ渡っている.これが渡れて初めてエジプト風の横断法が板に付いたということが出来るのということなのだ.10分から15分中央分離帯に立ちすくんでいたら,ホテルの方から警官らしい人が渡って来て,我々に手招きしている.渡る手助けをしてくれるようだ.警察官の先導でやっとホテルの側にたどり着くことが出来た.ホテルに入ってボーイと顔を合わせると,ボーイは中央分離帯で我々がまごまごしているのを見つけて警官を寄越したということであった.お礼としてボーイに2 £Eを渡したが,警官にもバクシーシを渡すべきであったのかもしれない.

 ホテルの部屋に戻り,シャワーを浴びて外耳の凹んだ部分を手で擦ってみると,真っ黒であった.砂漠の中を半日歩き回ったようなものであるので仕方のないことではあるが,昨日見た樹木の葉っぱと同じようになっている.夕食までしばらく仮眠を取った.そういえば,ベッドメイキングについてのエジプト風をまだお知らせしていなかった.もちろんこれは我々が泊まったホテルだけのオリジナルであるのかもしれない.まず,ベッドの下半分は日本風や欧米風とも同じで一番上にシーツがかかっている.その上がどうにも理解に苦しむ.先ほどのシーツの上に掛け毛布がありその次にもう一枚のシーツがある.なので,シーツ,人,毛布,シーツの形でベッドインすることになる.何のことはない,前日に泊まった人の汗をたっぷり吸い込んだ毛布と添い寝することになる.上のシーツは何のためにあるのとの疑問を持ちながら,これがエジプト風なのだろうと考えてフロントに文句を言うこともしなかった.最初の日に毛布,シーツの順が逆なのに気づいたのであるが,新米のムールキーパーの単純ミスなのだろうと考えていた.次の日もその次の日も逆順は続いたのである.

 ムールキーパーについては次のようなこともあった.妻が大きな5百円玉の入った小銭入れを机の上に置いたままでギザに向け出発した.帰って来て小銭入れを調べたところその5百円玉がない.その代わりに1セント(ユーロ)コインが一枚入っていた.5百円玉と1セントコインを入れ換えたのはムールキーパーとしか考えられず,これもエジプト風ということであるのかと思ってしまった.

 夕食は,道路を横断して遠くまでいく元気が出ないので,ホテルのすぐ隣にある日本料理や「おかもと」で取ることにした.中東で最初の日本料理店であると旅行案内書にある.刺身の盛り合わせと寿司を注文した.魚はアレキサンドリアからの直送ということである.マグロは最近入らずもっぱらカツオを寿司ネタとして使っていると,チョコマカとよく動くお内儀風の老婦人が説明してくれた.カツオ大好き人間である私はカツオの寿司で満足ではあったが,ただ少し難を言えばシャリが固かった.嬉しかったのは,昨日飲み逃したビールを注文出来たことである.2つの代表的なエジプトビールのうちステラというビールを注文した.特に美味しいということではないが,久しぶりなのでありがたかった.お陰でホテルに帰ってからぐっすり眠ることが出来た.

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