旅日記,随想,俳句など…

屋久島紀行3

第三日(10月3日)

 明け方も2,3時間はうとうとしていたが,4時過ぎから目が覚めてしまった.奥の人のいびきは相変わらず勢いがある.ほかの人の中にも眠れない人もいるようだ.5時前後から小屋の中で朝食の準備を始めている.5時半頃から我々も起き出して,小屋前広場で朝食の準備を始めた.カップ麺とトマト味のカップ・フィジーリのスープを作り,魚肉ソーセージと缶詰をあけて朝食にした.水を煮沸して冷まし,空いたペットボトルに入れリュックの外側のポケットに入れた.

 6時頃小屋に忘れ物を取りに入ったときもの凄いいびきがまだ響いていた.奥の人は12時間寝ていることになる.前日,よっぽど快適な疲れを引き起こすような山行を行ったに違いない.朝食の道具を片付けてリュックを作り,6時40分に小屋を出発した.小屋のすぐ前の暗がりに立派な角を持った牡鹿が黙々と草を食べていた.写真を撮ったが暗く過ぎてうまく写らない.今日は,海抜1500メートルの山小屋から海抜600メートルの荒川登山口まで900メートルの下りでその間に縄文杉や大王杉,また,ウィルソン株などを見物しながらの大株歩道の下りである.山道には樹木の根が縦横に走っている(写真21).
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写真21.樹木の根が縦横に走る登山道

 1時間ほどで旧高塚小屋前の広場に到着したが,そこで4匹のシカの家族に迎えられた(写真22).あと少しで縄文杉に到達するはずだ.この辺りにもヒメシャラの大木が林立している.屋久杉もたくさんあり,森が深くなり薄い霧が神秘的な雰囲気を醸し出しいる.
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写真22.朝食中のシカに行く手を塞がれる

 8時頃ついに縄文杉に到着した(写真23).黒味岳分れで出会った5人パーティーが縄文杉の前で朝食をとっていた.気づかなかったが,昨日,同じ新高塚小屋で泊まったのであろうか,または,旧高塚小屋泊まりであったのか.この時刻ではまだ荒川登山口からの登山客はいない.暫くすると荷物を持っていない若者二人が来て,記念写真を撮ったり,盛んに「スゲー」,「デッケー」などの感動の言葉を発している.少し遅れて老人が到着した.若者たちはこの老人のことを「歩く縄文杉」などといって,老人のバイタリティーを褒めている.後でわかったことであるが,この老人はガイドであった.荒川口までの下山の道々で何度か出会い色々なアドバイスをもらった.彼らは荒川口を朝発って来たとのことであった.朝6時に出発したとしてコースタイムの約半分の2時間余で到着したことになる.
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写真23.堂々たる縄文杉

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写真24.枝が融合している夫婦杉

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写真25.風格のある大王杉

 枝が融合した夫婦杉(写真24),風格のある大王杉(写真25)などを過ぎてさらに行くとウィルソン株に到着した.この切り株は,1586年,秀吉が京都の方広寺建立に際して切り出させたものとのことである.名前のウィルソンはこの切り株とは直接関係なく,明治時代,米国人植物学者ウィルソン博士が針葉樹の研究のため屋久島を訪れ,その研究成果を論文にし世界に紹介したことから,ウィルソン株といわれるようになったとのことである.そのウィルソンの論文を読んでいる訳ではないが,その中にこの切り株のことが書かれているのであろう.内部に入るとかなり広く天井を塞げば一家数名が生活できるだけのスペースは十分ある.ここまで来ると荒川口からの一行が次々と現れる.ほとんどがガイド付きのようである.ガイドと引率の先生を伴った5名程度の高校生の何グループかとすれ違った.
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写真26.巨大なウィルソン株

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写真27.苔むした翁杉の根元

 ウィルソン株を過ぎて直ぐにある翁杉(写真27)は苔むして落ち着きがある.翁杉を過ぎると30分で大株歩道を抜け,平坦なトロッコ道となる.ウィルソン株から大株歩道入口までの間に荒川口からの沢山のグループと挨拶を交わしながらすれ違った.グループのほぼ8割がガイド付きであった.大株歩道入口に到達したとき,「歩く縄文杉」のガイドに橋を渡った所にトイレがあることを教えてもらった.トロッコ道(写真28)にはいまトロッコは走ってなく,人のみが利用している.写真にあるように板が敷かれていて人が歩きやすいようになっている.しかし,この板が水に濡れると滑りやすくなるので注意が必要である.このトロッコ道を2時間半ほど歩けば荒川登山口で,そこに昨日予約したタクシーが待っている筈である.

 トロッコ道のあちこちでヤクシカやヤクシマザルに出会ったが,カメラを構えてシャッターチャンスを巧く生かすことが出来なかった.三代杉の処で昼食を取ることにした.お湯を沸かし,一つ残っていたカップラーメンを作った.家内はパンを食べ,カップラーメンの汁を啜った.
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写真28.トロッコ道

 暫く行くと楠川分れに到着した.ここからトロッコ道を離れて楠川歩道を北上し,苔むした登山道を1時間ほど登り(標高差250メートル),峠を越えれば「もののけ姫」の森林のモデルとなった白谷雲水峡に到るとのことである.荒川口へ抜けるより1時間ほど余分に時間がかかるのみだということである.トロッコ道をさらに進むと林芙美子の「浮雲」の最後の舞台となる小杉谷の集落跡を左側に見ることになる.この集落は「1924年から1970年の廃村まで屋久杉の伐採前進基地として栄え,一時は人口500人を超えた」とのことである.小杉谷小学校・中学校跡が最後に現れ,小杉谷橋(写真29)を超えれば小杉谷の集落跡を抜け,現在もアクティブに働いているトロッコ道となる.アクティブに働いている証拠は,線路のなん中にあった板が敷かれていないことである.トロッコが不定期に走っているとのことである.枕木の間隔が不揃いで歩幅と会わないのでとても歩きにくい.小杉谷橋には橋の両側に手すりがあり安心して歩けたが,小杉谷橋と荒川口のほぼ中間のところに太忠川に架かる高度のある橋があり,この橋には手すりがなく危険である.少し心配だったので家内が渡るのを待って見ることにした.はじめはおっかなびっくり渡っていたのが,最後の方には「イチッ,ニィ,イチッ,ニィ,...」と大きな声を出して調子を取り始めたので安心して先を進むことにした.あとで聞くと,あまりにも怖かったので大きな声を出し,そちらに注意を向けることで怖さを忘れようとした,とのことであった.
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写真29.小杉谷橋

 荒川口には,ちょうど2時に到着した.タクシーに乗り込んで走り出すとフロントウィンドウに雨粒がぽつぽつと落ち始めた.本降りにはなりそうではない.それでも登山中に雨に降られなかったことに感謝したい気持ちになった.

 ホテルには3時前についた.一度,部屋に入り,レンタル屋に借りた寝袋とマットを返し,お風呂に入って二日間分の汗を流し,浴衣に着替えてサッパリした.風呂上がりのビールはいつものことであるが,キリンビールやアサヒドライでも美味しい.夕食まで昨夜の睡眠不足を補うためベッドの上で仮眠した.

 5時半に起きてもう一度お風呂に入って,風呂上がりで夕食のためレストランに向かう.夕食のメニューは,豚の角煮,鰹のたたき,タマネギ入りのモズク,甘エビのオクラ和え,豚しゃぶ,煮物(里芋,椎茸,カボチャ)などであった.豚の角煮と甘エビのオクラ和えはなかなか美味しい.

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