旅日記,随想,俳句など…

エジプト紀行3

(4)12月26日(水)午前

 8時前にホテルのレストランで朝食をとる.ビュッフェ形式で食材は豊富である.エジプト風のパン(アエーシ)を含めて種々のパン,チーズ,野菜,炒め料理,卵料理などなど.豆を煮込んだスープがあった.エジプッシャン・フールといい,干し空豆をひと晩かけて煮込んだ 朝食の定番であるようだ.決して美味しいとはいえないが,とても栄養がありそうで滞在中は毎朝頂いた.料理を取ってテーブルに着いた頃合いに給仕がコーヒー・紅茶を注いでくれる.さり気なく1 £E札をバクシーシとして渡す.こころなしか,バクシーシの後は給仕の気配りが少し違うように感じた.

 朝食に十分満足して,8時半頃ホテルのロビーでボーイに「ギザとサッカーラに行きたいが」と話しを持ちかけて,ホテルの前で待っているタクシーに交渉してもらう.4時頃に帰ってくるということで200 £Eを支払うことになった.サッカーラはギザよりさらに20 ~ 30 km南にあり,そこには古いタイプのピラミッドがある.今日の運転手は,昨日の空港からの運転手に比較すると少しおとなしい運転をする.ギザはカイロの南西の方向にあり,ダウンタウンから郊外へ向かうことになるので,朝ではあるが道は比較的空いている(写真4).
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写真4.タクシーでギザに向かう

 埃に煙った空気の向うに薄くシルエットとなったピラミッドが見えてきた(写真5).いよいよスフィンクスと3大ピラミッドとの対面である.そう思っている間にタクシーはガタガタ道を通ってある建物の前に止った.降りるように合図をして,運転手はスタスタとその建物に入っていく.Papyrus Museumとある.店員が植物パピルスからパピルス紙の作り方を説明してくれる.絵入りのパピルス紙が展示されている.B4判程度の小さなもので150 £E程度,大きなものだと1000 £E程度の値段が付いている.店員は額面の半額程度で売って良いと言っている.運転手はソファーでタバコを吸っている.2人はまだ絵を見ているが,頼みもしないこんなところに連れてきた運転手に腹を立てて,見終わったので出ようと促す.もちろん二人も何も買わずに出て来た.
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写真5.ピラミッドが見えてきた

 タクシーはさらに細い道を通り,糞の匂いが充満している場所に入りこんだ.沢山のラクダが繋がれている.ラクダだけでなく馬もいる.英語を話せる人が出て来て,ラクダに乗らないかと誘う.「高くて危険で,嫌いだ」と答える.それでは,馬はどうだとまた誘う.「馬も危険でいやだ」とやり返す.馬車なら安全だが,どうだとくる.危険が理由として使いづらくなったので,とにかく,"No, thank you"で押し通して,タクシーを出してもらった.

 公園の入口には9時20分に着いた.何時にここで待ち合わせをするかで揉めた.はじめにこちらから12時と提案したが,運転手は私の腕時計の11時のところを指で押さえてここだと言い張る.どの程度時間が掛かるかについての感覚をこちらも持ち合わせていないので,仕方なく11時に同意せざるを得なかった.しかし,あとで次第に腹立たしくなってきた.一体,どちらが雇主か分からないではないか.運転手も自分が案内したPapyrus Museumやラクダ乗り場で,こちらが良い反応をしなかったことに良い気がしていなかったのかも知れない.
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写真6.スフィンクスの出迎えを受ける

 公園の入口には大勢の見張りがいる.入場券売り場までかなりの距離がある.入場料は50 £E/人である.例の金属探知器の門を通って公園内に入る.すぐ近くに見えるのはスフィンクスである(写真6).やはり,かなり大きい.高さ20 m,全長58 mとある.今回実際に見てはじめて気付いたことであるが,尻尾がある.人面獣身であるので当然のとこであるが,人間は実際に見せられるまで何ごともなかなか気付かないものであるなあと妙に感心してしまった.スフィンクスの奥に見えているのはカフラー王のピラミッドである.最も美しいピラミッドと云われている.保存状態がよく,ピラミッドの上部には表面が磨かれた化粧岩が崩れ落ちずにそのまま残っている.高さは143 m .他のピラミッドに比べて斜面の傾斜は急なように見える.右手にはクフ王のピラミッドがある.ギザ最大のピラミッドである.本来の高さは146 mであったが,頂上部が崩れ落ち現在の高さは137 mである.頂上の中央に立っている鉄の棒が本来の高さを示しているとのことである.平均2.5トンの石,約230万個で作られている.基底部の石には15トンもの石もあるという.

 スフィンクスの横を通って先ずクフ王のピラミッドに近づいた(写真7).先ず東斜面から廻ることにした.東側には3つの小さなピラミッドやその先に墳墓群がある.大きな穴もあった.これは2つ目の「太陽の船」を掘り出した跡とのことである.基部を廻るとピラミッドの大きさが実感される.一辺が230 mもある.北斜面に回り込むと急に日陰となっている(写真8)."my friend!",「ただ」と云って袋に入ったものを私の手に渡そうとする男に絡まれた.袋の中のものが何か分からない. "just garbage for me"と英語で答えて要らないと突き返した.そうすると今度は3つのピラミッドのセットをまた"my friend!"と云いながらしつこく渡そうとする.こちらもかなりムッとした顔をして今度は「要らない,要らない!」と日本語で押し返したら,それ以上はしつこく来ることはなかった.
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写真7.クフ王のピラミッドの東側の基部で

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写真8.クフ王のピラミッドの北斜面

 この北斜面の中央付近に玄室への入口がある.そこには沢山の観光客が集まっている.この玄室への入場は一日に300名と制限されている.入場料は100 £Eである.カフラー王のピラミッドの玄室への入場料が25 £Eであるので,我々はそちらに入ることにし,ここは入口を見るだけにした.玄室の入口へ上がる通路の足場の岩がすり減っているだけでなく,手を置く位置にある岩が手あかでテカテカしており,また,丸みを帯びている.一体,どれだけの人がこの通路を通ったのか.そのような歴史の重みというようなものを感じる.入口に着いたが,中に入る人はほとんどいない.10人に一人程度か.この入口からの玄室への通路は盗掘のときに作られたとのことである.
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写真9.ラクダに乗った人とカフラー王のピラミッド

 北斜面を抜けて西斜面に出ると南の方にカフラー王のピラミッドが見える.ラクダに乗った人がゆったり行き来している.絵になると思ったのがいけなかった.ラクダを入れてカフラー王のピラミッドの写真を撮った(写真9).ラクダ男が近づいてきて,手招きをしてさらにラクダのそばまで来いという.そして,自分の足を叩いて,この角度から写真を撮れという.一瞬,面白い写真になるかなと心が動いたが, 余りにもしつこい男なので断わって行こうとした.すると,私が先程写真を撮ったのをきちんと見ていたのであろう."give me money"とバクシーシを要求してきた.ラクダ男を撮ったのではなく,カフラー王のピラミッドの前景として配置しただけであり,前景なら1 £Eで十分とポケットから札束を取り出しバクシーシとして1 £E札を渡そうとすると「それは要らない,そっちの10 £E札をよこせ」と厚かましい.私もすっかり逆上してしまった.今では何と言ったのか覚えていないが,何か叫んで札束をポケットにしまい,大声でわめいているラクダ男を後に,スタスタとカフラー王のピラミッドへ近づいて行った.大声でわめいても決して暴力に訴えないのはさすがイスラム圏である.
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写真10.カフラー王のピラミッドは大人気

 カフラー王のピラミッドは結構人気がある(写真10).玄室への入場料もクフ王の玄室への入場料に比べると4分の1なので,ここでは入口に長い列が出来ている.入場券の売り場は離れたとことにある.二人に長い列の最後尾に並んでもらって,私は入場券を買いに後方にある小屋まで走った.ここの列はそれほど長くはなく10名程度が並んでいるだけである.すぐ券が買えると思ったが,これが甘かった.券売り場の中には男と女がおしゃべりをしている.おしゃべりが一段落すると,並んでいる最前列の人に券を売る.こちらがお金を出すのにまごまごしていると,また,おしゃべりを始める.一段落して券売りにもどる.これがエジプト風ということだ.だから券売り場の列はなかなか進まない.エジプト人の旅行業者風の男が並んでいる列の横から来て,中の男と何枚売ってくれと言うようなことをアラビア語で(多分)しゃべり,数枚の入場券を買っていく.これもエジプト風ということか.ここではこんなことでいらいらしても始まらない.ここはエジプトなのだ.あと2,3番目というところで,家内が「もう少しで入場出来るところだ」と言いに来た.券を手に入れて入口の列に戻ろうと急いで行くと,N君がベソをかいたような格好で入口の列から離れてこちらに歩いてくる.聞いてみると入る番になったが,券がないので列を離れたとのこと.このような時には,入口の側で券が来るまでじっと動かない図々しさが必要である.列に残って頑張る役を家内にやってもらうべきであったのかも知れない.そんなことをあれこれ考えても仕方がないので,二人を前にして腕を広げ押しながら券を高く掲げて,習いたての「エジプト風」で入口近くの列に横から割り込ませてもらった.

 入口では手に持っていたデジカメを見咎められた.カメラはダメだという.カメラをリュックの中に入れて使わないようにするからと言ってもダメで,結局,少し心配であったが入口の係員にカメラを預けて入ることになった.玄室への通路は狭くて蒸し暑い.その狭い通路を100メートル以上は歩いたと思う頃に石室に到着した.石室は3 m × 8 m程度の広さで,高さも4, 5 mはある.その壁に人の名前と西暦年号と思われる数字が書いてあった.石室の発見者とその発見の年であろう.中には他に何があるわけでもない.入口まで帰ってきて,先ほど預けたカメラを返してもらおうとすると,"one minute"といいながらわざとゆっくり預かったカメラをポケットから取り出し,"money"ときた.一瞬,呆気にとられたが,お金を渡さなければカメラが戻りそうもない.仕方なく50ピアストル札を出そうとするとそれでは足りないと催促する.さらに,1 £E札を渡してカメラを返してもらった.エジプト風の考えではカメラを安全に保管してやったのだから,そのお礼にバクシーシをもらうのは当然のことなのである.N君もカメラを預けたのであるが,こまかい札を持っておらず,10 £E札を渡してカメラを返してもらったということである.「エジプトでは,1 £E札や50ピアストル札などのこまかな札を常にポケットに入れておかねばならない」という教訓を得た.
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写真11.ピラミッドの基部にある沢山の落石

 カフラー王のピラミッドの西斜面には沢山の落石があった(写真11).その西斜面を出て,南西の方向を見たのが写真12である.ギザの3大ピラミッドのうち最も小さいものでメンカウラー王のものある.その南側には3人の王妃のピラミッドがある.でも,もうそろそろ約束の11時に近いのでそちらの方まで見物に行くわけにはいかない.別の日にまたここを訪れて,メンカウラー王のピラミッドの南に広がる砂漠の中から撮ったのが写真13である.手前に3人の王妃のピラミッドがあり,その後ろにメンカウラー王のピラミッド,その奥にカフラー王のピラミッド,一番奥に遠くクフ王のピラミッドが重なって見えている.これら3名の王はお互いに親子関係にあるようだ.カフラー王はクフ王の子であり,メンカウラー王はカフラー王の子である(注1).また,メンカウラー王の時代には,エジプトの力がしだいに衰えてきたことからピラミッドの規模も小さくなったのだといわれている.
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写真12.一番小さいメンカウラー王のピラミッド

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写真13.南に広がる砂漠から3大ピラミッドを望む

 11時に近くなったが,約束時間通りに入口に行くのは意地でも行きたくはない.カフラー王のピラミッドをぐるりと廻って,クフ王のピラミッドの南側に白くて大きな建物があった.中には「太陽の船」の現物が展示されているようだ.4600年前の最古の木造物とのことである.しかし,ここも時間の関係からパスした.また,もう一度スフィンクスをじっくり見て公園の入口を出た.道路の向うに運転手が待っている.11時を僅かに10分過ぎたのみであった.もう少し「エジプト風」で行くべきであったのかも知れない.1時間遅れても運転手はそこに待っている筈だ.我々は運転手にまだ何も支払いをしていないのだから.しかし,時間に厳格な「日本風」を抜け出すには,まだまだ,エジプト滞在の日にちが浅かったのかも知れない.

(注1)古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによる,カフラー王はクフ王の弟で,メンカウラー王はクフ王の子という説もあるようだ.

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