旅日記,随想,俳句など…

エジプト紀行2

(3)12月25日(火)

 早朝,ドバイ空港に到着した.エミュレーツ航空の中継基地であるドバイ空港は不夜城である.4時間の待ち合わせ時間には,ショッピングモールの免税店でのショッピングを楽しむことが出来る.ショッピングモールに入るには再びバンドや靴を外して荷物検査を通過しなければならない.2階のモールを歩いている時,"xxxxx for men"とあったのでトイレだろうと思って入ったら,多くの人が一定の方向を向いてひざまずき頭を下げてお祈りをしていた.慌てて外に出て看板をよく見ると,"mosque for men"とあった.イスラム教徒の礼拝中であったのだ.1日5回の礼拝の内,夜明けに行なう第一回目の礼拝であったようだ.さすがイスラム圏の国際空港である.
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写真1.ドバイ空港の英国風パブからの景色

 しかし,イスラム圏らしからぬ店もある.英国風のパブである.洋風のアルコール飲料がほとんど揃っている.前回,スコットランドからの中継のときにも1パイントのギネスでこのパブにお世話になった.その時の美味しさが忘れられず,3人でその店に入り,1パイントのギネスとホットコーヒー2杯を注文した.日本時間では昼頃である.寝不足の身体にギネスの苦味が心地よく,寛いだ気持ちになれた.63.80 DHSであった.チップを加えて70.80 DHSをカードで支払った(DHSはアラブ首長国連邦の通貨ディルハムで1DHSは約30円である).

 夏に1日だけドバイを訪れたことがある.夜でも40度Cという気温であった.朝10時にホテルを出て近くのお土産屋を見て歩いた.10分ほどで汗が出始める.30分でTシャツが身体にペタペタと付いて来る.1時間後にホテルに帰ってくると肌着が汗で重くなっているのが分かる.シャワーを浴びて,水分補給をして冷房を入れた部屋で暫く休んでから,また,新しいTシャツ・下着でショッピングに出かける.そのようなことを数度繰り返して夜になった.その時,アルコールを禁ずるイスラム教の教えは,アルコール吸飲による脱水症状を抑える合理的なものであるということを悟った.灼熱のイスラム圏ではアルコールは似合わない.しかし,ドバイ国際航空にある英国風のパブでのギネスはやはり美味しい.

 ほぼ定刻にドバイを出発したエミュレーツ航空機はアラビア半島を斜めに横切り,シナイ半島を横切って,ナイル川デルタを扇に見立てたとき,かなめの位置にあるカイロに昼前に到着した.2万円を出して,"two visa, please"と2名分のビザ用印紙を購入し残りを両替してもらった.1名分で90 £E (15 USD)であった.ビザ用印紙は,面白いことに団体の場合の方が高く,25 USD/人とのことである.2名分のビザ用印紙代180 £Eを差し引いて,776 £Eが手に残った.2万円が956 £Eになったのだから,1 £E = 20.9円である. 

 入国審査を済ませ荷物を取って外に出ると,背の低いおじさんが何処から来たと尋ねるので,日本から来たと答えると,20でホテルまで送るという.20は随分に安い.旅行書によると空港からダウンタウンまで45 £Eが相場という.バクシーシをたっぷり振舞い30 £Eでも35 £Eでも渡せば喜んでくれるだろうと考えながらタクシーに3人で乗り込んだ.タクシー運転手は我々の荷物を持ってずんずん進んでバスに乗り込んだ.我々も後に続く.バスは空港出入り口と駐車場を巡回しているようで駐車場まで我々をただで運んでくれた.駐車場には年代物の車が我々を待っていた.車のトランクに2つの大きな荷物は納まらず,1つは上部の荷物置きに置いた状態で走ることになった.カーブを曲がる度に上の荷物が動く.運転は総じて乱暴である.2車線の道路を走っているものと思っていた.タクシーは車線の真上を走っている.左右の両側にもそれぞれ車が流れている.1車線の幅は日本のより広いように見えるが,2車線の道路を3並列で車が走る.これがエジプト風ということか.
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写真2.カイロ市内を疾走するタクシー

 驚いたことに空港からホテルまでの間に信号を一度も見なかった,ように思った.ダウンタウンに入ってからは高架なので信号がないのは当然であるが,高架になる前も,高架を降りてからも信号がない.停車して運転手に30 £Eを渡し,さらに5 £Eを渡そうとすると,運転手は血相を変えて20は,米ドルUSDであるという.エジプト通貨になおすと120 £Eである.相場(45£E)から3倍近い値段である.45£Eが普通の値段であるということを主張すると,「アイティーファイブ」が普通だと言い返してきた.この「アイティーファイブ」が3人とも分からない.しばらく遣り取りしている間にeighty fiveであることに気付いた.結局,100 £E札を出して,10 £E札を返してもらった.さらに5 £E札を返せとは強くは言わずに,心優しい日本人になってしまった.後で知ったことであるが,日本人は金払いが良いので,エジプトでは人気があるようだ.はじめに値段交渉する時には,単位をハッキリと確認しておくことが大切であるという教訓を得た.また,はじめにタクシー代を交渉で決めた時には,それ以上のバクシーシは基本的に必要ないとのことである.これも今後の教訓としよう.

 ホテルに入ろうとするとボーイが二人寄ってきて大きな荷物を運んでくれる.ホテルの入口には金属探知器があり,その側に2,3名の見張りがいる.カイロでは人の出入りの多い建物はこのような体制になっている.さらに出入りの多いところではライフルを構えた警官あるいは兵士が守っている.観光立国としてのエジプトはテロに対して厳しい対応を取っている.チェックインを済ませてから,部屋まで荷物を運んでもらった.バクシーシとして5 £E札を渡した.ボーイも満足な様子である.

 ホテルの階の数え方は英国風であるが少し異なっている.まずグランドレベルG階があり,その上にR階がある.ここにはレストランがあったのでレストラン階という意味だろう.その上,日本風の数え方では3階がここでは1階である.我々の部屋は8階であった.最上階13階にプールやカフェがあるとのこと.後で覗いてみよう.エレベーターは2機あり,シンドラー社製のものであった.このエレベーターがかなり年代物で常時一機は動かず,もう一機もその動きは青息吐息のように見えた.動作がギクシャクしている.ドアが開いて入ろうとするときエレベーターの床と廊下の間に時々10センチ程度の段差が出来た.一度だけエレベーターの中にいて内側のドアが開いたが外側のドアが閉まったままで出られないことがあった.その時には外の人に開けて貰ってエレベーターから脱出できた.エレベーターの床と廊下の間に20センチ程度の段差があった.これが外側のドアが開かなかった理由だろうと何故か納得してしまった.また,何時まで経ってもエレベーターが来ないこともあった.仕方なく夕食後R階から8階まで歩く羽目になり,「よい運動になる」とシンドラー社製のエレベーターに感謝しながら必死に登った.

 昼食がまだであったので散歩がてら街に出ることにした.ホテルの前の通りは中央分離帯があり,それぞれ,片側で4車線の広い道路になっている.我々が行こうとしているダウンタウンの方向はこの道路の向こう側である.この道路を渡らなければならない.この道路を横断するために信号機のところまで行かなくてはということで歩き始めた.疾走する4車線の車の「海」の中をよたよたと渡ろうとしているおじさんが見えた.「おじさん,おじさん!ルールを守って信号を渡らないと危ないよ!」と呟きながら信号を探した.しかし,何処まで行っても信号がない.しばらくして,先ほどのおじさんの道路の横断に仕方は,カイロにおいては「正しい」横断の仕方であったのだという考えが,天啓のように我が頭脳を支配した.ここは日本ではなく,エジプトのカイロである.我々もエジプト風の道路横断法を身に付けなければならないのだ.そのように考えて決死の覚悟で横断しようとするが,その切っ掛けが中々つかめない.自殺を決意して,車に轢かれようと思って逡巡している人の気持ちが分かるような気がしてきた.交通量が減った一瞬を見逃さずにやっとのことで中央分離帯まで渡ることが出来た.家内とN君はまだ渡ってこない.何時までも中央分離帯にいるわけにいかないのでもう片側を渡ることに専心する.そうすると,向こう側から小学生1,2年生の可愛い女の子が道路に出て来た.私は一瞬「危ない!」と思ったが,疾走する車の間を何のこともなくヒョイヒョイと渡ってきた.タイミングが大事だということだけは分かった.しかし,どのようなタイミングかということは,まだ,明確ではないまま必死に渡った.渡って振り返ると後の二人は中央分離帯まで来ている.結局,道路を横断するのに7,8分は掛かったように思われる.
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写真3.車の直前を横断する女性

 細い道路に入ったところに串焼きケバブを調理しているところがあり,それをナン風のパン(アエーシ)にはさんでもらい昼食にすることにした.3人前と漬物を付けてくれて19.50 £Eであった.そのサンドウィッチを歩きながら食べた.街角にはハイビスカス,ハワイにあったマメ科の木,タイワンアカシア,イスノキに似た木など結構樹木が多い.鉢植えのスイートバジルもある.しかし,どの葉っぱにも砂がたっぷり乗ってあり,葉っぱに水を掛けて遣りたくなった.ネコの死骸が道の端にあったが,これは車に轢かれたのであろう.

 ダウンタウンの近くで,我々3名が日本から来たとこを知った親切そうな人が,色んな事を話しかけてくる.そして,明日3名まとめてギザとさらにその奥の砂漠を10 USDで案内してもよいと提案してくれる.親切かも知れないが,それはちょっと安過ぎるのではないかと言うと,口角泡を飛ばして,「俺は嘘は言わない.事務所がすぐその奥にあるのでそこまで是非来てくれ」とのことである.相手が必死になればなるほど,こちらは引いてしまう.明日の朝に必ずその事務所を訪ねるということを言って別れた.もちろん,翌日朝はホテルの前に待機しているタクシーをチャーターしてギザ,サッカーラを回った.

 ダウンタウンには機能している信号機があった.そこではある程度安心して道路を渡れた(もっとも,信号無視の車もいるので完全には安心出来ない).信号機のあり難さが身にしみた.中洲にあるナイル川沿いの公園に入った.入園料は2 £E/人であった.河岸にはナイル川クルーズ用の船が停泊していた.時間が許せば夕食をナイル川クルーズで楽しんでも良いかも知れない.帰りもナイル川に浮かぶ中洲を北上して,北西にある橋を渡ってホテルまで歩き通した.3車線の道路横断が4回あったが,何とか車に轢かれないでホテルまで辿り着く事が出来た.本日歩いた距離は10 km程度である.

 夕食はホテルのレストランで取ることにした.トマトスープとメインディッシュとしてラム肉のカブサ(kabssa)とチキンのカブサを注文した.さらに,メニューにあるビールを注文しようとしたら,ビールはないとのことである.ではなぜメニューに書いてあるのかと聞いてみたら,分からないという.後で分かったことであるが,レストランのメニューはルームサービスのメニューとほぼ同じでルームサービスではビール等の飲料の配達がなされているようだ.一人前のカブサは量が多く,半分以上も残してしまった.次からは3名の夕食ではメインディッシュは1人前で良く,あとはスープや種々の前菜を注文すれば良いというアイデアを得た.夕食代は計108 £Eでバクシーシを含めて120 £Eをキャッシュで支払った.明日はギザとサッカーラのピラミッドを見物することを確認して9時頃には寝入った.

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