旅日記,随想,俳句など…

ファスレーン基地での非暴力直接行動1

ファスレーン基地での非暴力直接行動 (2007.7.25-26)

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(1)日本チームの参加の意義と出発

 スコットランドのグラスゴーから50キロ程離れたファスレーン基地には,英国における全てのトライデント核兵器システムが存在している.これま でもことあるごとに,非暴力直接行動による基地の封鎖がなされ,「トライデント・プラウシェアズ」をはじめとした英国の反核団体を中心として,核兵器に対 する反対運動を展開してきた.英国の現在のトライデント核兵器システムは2024年に退役するため,英国政府はこの核兵器システムの更新をどうするかとい う決定をここ数年のうちにしなければならない状況にある.ファスレーン365は,この時期に,英国内のみでなく広く海外からも参加を呼びかけ,2006年 10月1日から1年間にわたって切れ目なくファスレーン基地を非暴力的に封鎖し,核兵器の危険性や浪費性をアピールし核兵器廃絶に支持を集め,その実現を めざす運動である[1].

 英国政府は,同国の唯一の核兵器トライデント・システムを引き続き維持することを表明しているが,核兵器が配備されているスコットランドではこ れに反対する世論が強まっている.5月に実施されたスコットランド議会の選挙では,核兵器廃棄を基本政策に掲げるスコットランド国民党が第一党になり,党 首のサモンド氏がスコットランド政府の首相に就任した.サモンド党首はスコットランドで核兵器を違法化すると発言しており,これからの運動次第では大きな 前進が期待出来る状況にある[2].

 英国の核弾頭は200発程度で2万発を超える全世界の核兵器の1%に満たず多いわけではないが,世界で3番目に核兵器を作った英国が非核化され ることの意義は大きく,昨年9月にファスレーン365日本実行委員会(代表:佐賀大・豊島耕一教授)を立ち上げた.

 英国の核兵器システムをどうするかは,北朝鮮の核問題と同様にすぐれて国際問題であるので,日本からのチームもファスレーン365に参加する十 分な理由がある.それに加えて日本チームの参加の意義は,取分け次の二つに集約される.第一は,日本が核兵器の投下・爆発による唯一の被害国であるという ことである.この点では被爆者の参加が,特に重要となる.また,被爆の実相を伝える様々な写真や絵画または本などのメディアも必要となろう.第二は,日本 があらゆる戦力と国の交戦権を認めない憲法9条を持っているという点である.憲法9条は多大な犠牲を払ったことで出来上がったものである.これらのことは 時間的に前後するが,今年の8月6日の平和宣言で秋葉広島市長が明確に語ってくれた.彼は,「唯一の被爆国である日本国政府には,まず謙虚に被爆の実相と 被爆者の哲学を学び,それを世界に広める責任があります.特に,国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は,世界に誇るべき平和 憲法をあるがままに遵守し,米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』と言うべきです」と述べ,安倍政権を強く叱責している.

 平和憲法=憲法9条については,それを遵守するだけでなく積極的に外交で活かせと秋葉広島市長は提言している.歴代の自民党を主とする支配層 は,これまでこの憲法9条を蔑ろにするような政治を行なってきた.さらに,憲法9条を変えて海外で戦争できる国にしようという安倍政権の企みがある(7月 の参議院選の惨敗でも安倍政権のその執念は依然として強い).そのような政治姿勢の結果として,歴代政府が憲法9条を外交の主軸において平和外交を展開す るということは一度もなかった.このような憲法9条をめぐる捩じれた現状がある中でも,われわれ日本国民の多くは,しかし良い意味で平和文化の中に生活し ている.思えば十数年前,日本人の多くは米国ルイジアナ州のバトン・ルージュという町で服部剛丈君が迷って入りこんだ家の庭で射殺されるという事件に驚愕 し,自己防衛のために個人が銃を使用することを当然とする米国の銃文化に大きなショックを受けた.個人はいくら自己防衛のためとはいえ武器(銃)を行使し て人を殺傷してはならないというコンセプトから成立つ日本文化は,国家レベルの平和主義=憲法9条と根本において繋がっている[3]と思う.核兵器は言う までもなく最悪の武器である.自己防衛のためとはいえ武器を持たないという日本の平和文化の要である「憲法9条の輸出」が英国の核兵器廃絶に多いに役立つ と期待したい.それを市民のレベルで行なう意義は大きい.また,その反作用が日本での「9条を守る」運動に良い影響を与えるだろう.

 このようなことを目標にして,7月22日と23日に分けて日本チームは,スコットランドに向けて出発した.メンバーは,長崎から被爆者を含む5 名,福岡から大学教員,語学学校教師など5名,広島の大学院生,東京の主婦それぞれ1名,計12名である.長崎出身で被曝二世の森口信哉さんは,「トライ デント・システムを更新するかどうかのイギリスの選択には,一核保有国の単なる国内問題としてではなく,今後の世界の核をとりまく状況の変化(拡散か廃絶 か)への分岐点になりうるだけの重大性があると思い,ファスレーンでの活動への参加を決めた」と述べ,福岡で語学学校を経営する黒木鞠子さんは,「核兵器 は人類そのものを破滅させかねないとんでもない兵器だと思います.私は,ファスレーンで非暴力の座り込みをするために行きます.現地の人々とも意見を交換 したい」と期待を語り日本チームに参加した[2].日本チームのファスレーン封鎖は,7月 25〜26日が予定されている.

(2)封鎖,そして逮捕

 7月24日の夕方,ファスレーンに近いロッホ・ローモント・ユースホステルに全員が揃った.天井が高くて広いミーティングルームで中華料理を食 べながら,今回の日本チームのコーディネータ,レベッカ・ジョンソンさんの司会で自己紹介が行われた.続いて逮捕されたときの注意を含めて明日の作戦会議 となった.翌日の封鎖にはフィンランドからの学生で国際関係論を学んでいるアンナ=リネア・ルンドベルグさんが参加するという.これで総勢13名の封鎖に なる.また,11時頃に平和運動に熱心なクェーカー教徒の団体が我々の封鎖を支援に来てくれるとのことである.力強い限りだ.会議の後,封鎖の手順につい て若干の予行演習を行なった.

 翌日朝6時頃,目が覚める.朝から小雨が降っている.7時半から全員での朝食になる.朝食後,ファスレーン365における非暴力についての5つ の約束を代表が読み上げて確認する.(1)他の人に対して常に誠実で敬意を払う,(2)物理的暴力や言葉の暴力に訴えない,(3)武器を持たない,(4) 医療目的以外のアルコール・麻薬を持ち込まず使わない,(5)緊急用車両に対しては封鎖を解き,その後再開する.これらの5点を守れなければ,ファスレー ン365に参加する資格は無いということである.

 小雨の中をファスレーン基地に小型バスで向かう.途中でファスレーン基地の全体を見渡せる小高い展望台から基地を観察し写真を撮る.かすかに潜 水艦の頭の部分が見える.英海軍のトライデント核兵器システムを搭載する潜水艦「バンガード」四隻のうち少なくとも一隻は現在ファスレーンに停泊している ようだ.いよいよ対決である.警察の車が我々の小型バスの後ろに停止して我々の様子を見ている.朝から厳しくマークしているようだ.警察官に軽く挨拶を し,ファスレーンから数マイル北にあるクールポート核兵器弾薬庫をみて,ファスレーンに引き返した.バスを降りたところで,本日のイベントで大切な被爆を 写した写真と絵のパネルを忘れたことに気付く.アンナのボーイフレンドのアダムに運転してもらい,ロッホ・ローモント・ユースホステルまで引き返した.運 んできた写真と絵のパネルに準備してきた英語の説明を両面テープで取り付け,その中の一枚を並べながら,うつろな顔をした少女の背後にあるしゃれこうべが 彼女の母親だということを一人の警官に説明したら,真顔で頷いてくれた.雨は幸いにも上がったようだ.
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写真1.クェーカー教徒の瞑想と写真パネル

 逮捕の危険性の高いロックオン[4]のメンバーが昨夜から一部変化したため,改めて素早いロックオンの練習をすることになり,メンバー5名が北 正門から少し離れたファスレーン・キャンプ・サイトの奥まで入って竹筒を使ったロックオンの練習をすることにする.3人組(広島からのU君,アンナ,私) と2人組(長崎からの森口正彦さんと代表)に別れ二回の練習をした.二回とも上手く行き首尾は上々.3本の竹筒をグランドシートに包み,車を基地の北正門 の近くに停め,警察に気付かれないよう低いフェンスの内側に置くことに成功した.北正門に帰って来たのは午後1時頃であったが,すでに,クェーカー教徒が 百名程度集まり,歩道と低いフェンスの内側で瞑想しているところであった.

 瞑想の終りの方で,森口貢さんが長崎から持ってきた「平和の水」[5]を,平和を希求するあなた達に捧げますといいながら,一人一人の手にかけ ていった.厳かな儀式になった.一人一人は老いも若きも真剣に水を受けている.クェーカー教徒の長い瞑想が終り,昼食になったのは一時半頃であった.パン とチーズ,牛乳ですませた.クェーカー教徒の人々から握手を求められ,遠い日本から来てくれて有難うとお礼を言われた.代表格の人から,写真と絵のパネル は非常にパワフルで,特に若い世代の心を動かしている,パネルの写真を撮ってもよいかと言われた.喜んで撮って下さいと答えた.アンナが一つの写真の前で 顔を真っ赤にして涙を流し感じ入っているところを見かけた.それを見ただけで,重くて持ち難い写真と絵のパネルを持ってきた甲斐があったと私の方でも感じ 入った.あとでアダムがパネルを一枚一枚丁寧にカメラに収めていた.
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写真2.折り鶴による基地の封鎖

 昼食後,いよいよ我々のパフォーマンスが始まった.レベッカさんが白血病で死んだ少女サダコの話しから起し,折り鶴に繋げ,平和のシンボルとし ての折り鶴で北正門を封鎖するパフォーマンスが続いた.警察が置かれた折り鶴を片付けるとともに行動を制止したことから,座り込みに移行した.警察の注意 がこの座り込みにいっている今が,我々5名のロックオンのパフォーマンスのタイミングである.座り込み隊の後ろへ竹筒を持ってロックオンを試みた.少し出 遅れた3名はロックオンに入る前に警察に捕まってしまった.唯一成功したロックオンは私とアンナのものであった.3名はそれぞれの場所でスコットランドの 警官に捕らえられているが,何故か,警官も含めて車道上で静止した状態のまま動かない.まるで警察も封鎖に協力しているようにすら思える.代表は捕らえら れた状態で憲法9条を英訳したバナーをかざしている.完全なロックオンには,手に括り付けているカラビナを連結する必要がある.アンナと私はカラビナで連 結するだけでなく,手を絡めてお互いにこのロックオンを頑張ろうという仲間としての合図を送った. 暫くしてカッティングの専門部隊が到着し,竹筒が切り開かれアンナの指と私の指が離され,別々に近くに停車している警察の車に連れていかれた.私 は,"stand up please, sir"と警察にいわれ,ほぼ条件反射的に簡単に"yes"と答えてしまった.せめてもの抵抗は"just a moment"と言って,降り懸かった竹屑などをわざとゆっくり振り払ってから立ち上がったくらいで,立ち上がってからも警察の車まで自らのこのこと歩い ていってしまった.一方,アンナは立派であった.横になったままで,警察の命令にも自らは何もせず抵抗を試みた.4名の警官が彼女の身体を抱えて車まで運 ぶことでもいくらかの時間を掛けさせた.斯くて2時10分頃から始まった我々のパフォーマンスは5名の逮捕者を出して3時には終了した.
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写真3.バンブーロックオンによる封鎖

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写真4.憲法9条のバナーを掲げて逮捕さる

(3)取り調べ,そして独房へ

 近くの警察のプレハブ作りの臨時出張所のようなところまで車で連れて行かれた.逮捕された現場から車が出発するとき歩道から皆がこちらの車の方 を見ているので,手を振ったら日本チームの皆だけでなくクェーカー教徒の人々も熱烈に手を振ってくれた.私も調子に乗ってすっかり英雄気分になり手を振り 続けた.私はまったくお調子者だと思ってしまった.簡単な取り調べの後,ポラロイドカメラで写真を撮られた.既に3名が乗り込んでいる車に案内された.お 互いに今日の作戦は成功であったと総括し,最後にアンナが同乗してきてさらに健闘を讃え合った.車はグラスゴー近くのクライドバンク市にあるストラスクラ イド警察署まで直行した.ヘレンズバラの町を通るときには,海を挟んだ対岸にグリーノックの町が見えた.

 クライドバンク警察について,女性のアンナだけが別の部屋で取り調べを受けるため先に連れて行かれた.日本語通訳の到着までの間,男四人は窓の 無い部屋に入れられしばらく待機させられた.その間にU君は,部屋の入口に陣取っている若い警官に何処で生れたとか,サッカーはどのチームが好きかとか盛 んに話しかけている.後でそのことを尋ねたら,代表がカメラで室内を撮ろうとしていることに気付き,警官の注意を逸らす為に質問したとのことであった.そ のU君の質問に若い警官はいちいちまともに答えている.ここスコットランドの警官は,誰もフレンドリーで素直で好感が持てる.
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写真5.歓迎してくれたクライドバンク警察

 クライドバンク警察での取り調べでは,まず,ズボンのバンドが取上げられた.眼鏡は独房内で必要かと聞かれ,是非とも必要だと答えたら,それな らOKとのことであった.ポケットの中のものは,ハンカチとメガネふき,歯ブラシ以外はすべて取上げられ,紙類,カメラ,財布(金額を確認して),時計な ど整理され,紙袋に入れられた.明日,出るとき全部をキチンと返すとのことであった.あなたの罪は"breach of the peace"(秩序違反)であるが,そのことが分かるかと質問があり,それに対して,私は遠い日本から平和のためにやって来たのであり,あなたの言った理 由は理解できないと言い返した.しかし,とっさのことであり,平和を乱しているのは人道法違反のトライデント核兵器システムの更新を表明している英国政府 であるという,一言を言いわすれてしまった.翌日話しを伺ったところでは,長崎からの森口正彦さんはしっかりその点を主張されたとのことである.反核の思 いの深さに恐れ入った.

 いよいよ独房内に入った.U君はすぐ前の独房に入っているようだ.独房ではブザーを押すと直ぐに看守が来てくれる.直ぐにトイレットペーパーを 要求した.便器は,便座の部分が外されており,下の便器の平たい部分が剥き出しになっている.その点以外は,水洗でありまた清潔であることがあり難い.天 井を見上げると,その中央に1メートル平方の部分が透明のタイル張り(全部で36枚)になっている.そこから入り込んでいるのは外からの光のようだ.独房 の広さは2メートル×3メートルの程度で,入口の直ぐ左に先ほどの便器がある.奥には,10センチ弱程高くなったところにマットが置いてある.これがベッ ドのようようだ.頭に当る部分がさらに数センチ高くなっており,そこにマットが掛かっているので,それが自然に枕になっている.他は何もない.壁はコンク リートで淡いピンクの塗料が塗ってあり,手でコンコンと叩いても音がしない.天井の塗料は何故か白である.ドアのペンキは深い青であり,床はチョコレート 色である.

 独房内に入る直前は,ここからほぼ1日は出ることが出来ないのかということを考えて,閉所恐怖症の兆候が出てくるかと感じられた.独房内に入っ て今日の行動を振り返ったり,独房内の観察をしたり,この文章を書いたりしていると,不思議に心が落ち着いて,また,自由な精神活動を感じることが出来る ようになった.夕食は10センチ×20センチ位の容器にズッキーニなどの野菜をいため幅広のパスタで包んだようなものがあり,これは結構美味しかった.あ とは,ニンジンとグリーンピースのミックス野菜の冷凍食品と3個の丸ごとのポテトであった.全体が温めてくれてあるので,美味しく頂けた.また,量も私に とっては十分であった.若者のU君にとっては,とても足りない量だろうなと想像した.

 天井の透明タイルからの光も無くなってからかなりの時間が経過しているので,もう11時は過ぎているだろう.看守に消灯を要求して寝ることにし た.今日はいろいろなことがあった.(つづく)

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